(3/31)ようやく終了

  • 昨日の夕方遅くになってしまったが、ようやく公募論文の原稿が出来上がり、審査委員会の事務局へ発送した。3日前から喉が腫れ、急性鼻炎、頭痛、そしてなぜが右膝も痛む中、どうにかこうにか終了、である。
  • 最後の最後になって私の不注意で幾つもミスが発覚し、それが余計に身体にダメージを与えたが、恐らく今日から回復していくだろう。当分は体調を回復させるための休養とリハビリに充てたいが、来週から大学の講義も始まるので、休めても一日が限界である。今日は二つの用事をこなすために出かけねばならない。
  • 一昨日の話であるが、私の友人にして大学院修士課程で同じゼミにいたO君から突然電話がかかってきた。話によると、31日に引っ越すことになったという。彼は4年前に結婚していたが、彼女の実家の都合もありなかなか同居が叶わなかった。今回ようやく八尾に新居を構え、関大前から引っ越すことになったのだ。引っ越しで不要になった、という哲学書を私が譲り受けることになった。ヘーゲルの原書である。何故彼がヘーゲルの原書を読もうとしていたのか、どうして不要になったのかは聞かなかった。というか聞けなかった。
  • そして昨日、本を受け取りに出かけた。荷造り中の彼の表情は穏やかで、ようやく同居の新婚生活が始まるという喜びと、ついに学生のような居住生活が終わる、という寂しさと両方が去来しているように見えた。
  • 大学生活が終わって、その大学に学籍や雇用関係がなくても、その学生街に留まって暮らす人を私は何人も知っている。卒業した本人はどんどん年齢を重ねて「先輩」から「大先輩」になっていくが、春になって入学してくる学生はいつも若い。学生街自体もどんどん風景が変わっていく。自分が通って楽しかった頃の景色は過去のものになっていく。
  • あの何とも言えない寂しさは、1970年代から多くのヒット曲のモチーフになっているが、どんなに過去が楽しかったとしても、未来をもっと楽しくしようと生きていないとつらくなるのは、昔も今も変わらないのかもしれない。さあ、4月だ。