(china)直接の経験なしに教訓は生まれないのか

  • 昨今、中国の衛生や環境政策に対する批判が強まっているが、私が十年ほど前に参加した、ある環境シンポジウムで聞いた話を思い出した。
  • 当時ようやく「中国大陸から大気汚染物質が日本へ流れてくる」といった問題が週刊誌などで話題になり始めた頃だった。ある中国の内陸都市の大気汚染状況を中国当局が調べたという数少ない資料を日本語に訳して発表した、日本の研究者の話が印象的だった。「もうすぐ21世紀になろうという現状にあって、残念ながら中国の当局には『公害病患者』について、つまり環境汚染が人体にどういう悪影響を及ぼすのかを調べている形跡がありません」
  • 当時、大気を調べてその汚染状況をどう改善するか、という取り組みは中国でも始まっていたようだが、その大気が人体に何をもたらすかを調べている研究はほとんど無いというのだ。日本では数十年も前に発覚した、公害による「病」を当局がきちんと調べていないという話にはあきれた。
  • 周知のように、日本でも公害病裁判によって汚染物質と病との関係が証明されるまでは何十年も掛かった。ようやく国と企業の責任が認められるようになったころ、すでに多くの患者は死んだ(殺された)後だった。生きているうちに賠償金が支払われたとしても、病に冒された身体は元には戻らない。中国でもし仮に、民主的な裁判が可能になっても、さらに患者原告が何十年も裁判を続けねば、汚染物質の人体への影響関係が認められることはないのだろうかと思う。
  • 北京オリンピックというイベントは、世界中から中国にマスコミが集まることでもある。ぜひ多くの記者達がリアルな中国を伝えてほしいと思う。