(9/24)またか、でも踏ん張らねば

  • 朝は30分のウォーキングから始まった。快調。朝焼けの光の中に立つ影を見て、エスカレーターで手鏡は使わないようにしようと思った。
  • 冗談はさておき、入浴後に仮眠を取ったら、また体調がすぐれない。髪が生乾きのままで眠ったのが良くなかったようだ。これでまた夕方頃まで体調がすぐれなくなった。鎮痛剤と栄養剤でごまかしつつ、論文の続き。
  • 締め切り日こそ異なっているが、2ヶ月の間に四本の論文を仕上げるという人生初の状況の中に私はいる。締め切り直前の分の章立てを急に変更したくなったり、結論部分を修正したくなったりもする。そういった誘惑を自分の中でどう処理すればいいのか、悩む時がある。締め切りまでたっぷりの時間があれば、自分のそういった要求にいくらでも応じればいいのだろうが、「○日後」というスケジュールを睨みながらの作業では、身動きが取れないことの方が多い。悩んだ末に「結局できませんでした」では最悪だ。この状況下では、人と口をきくこと自体が辛くなる時がある。
  • まだ私の生活では、論文に対する報酬、つまり「原稿料」が発生するような仕事はほとんど回ってこない。つまり何日も何週間も、時には何ヶ月もかけて作成する論文は無報酬である。実際、多くの場合は「投稿」である。学会によっては「抜き刷り」印刷の費用を負担することも少なくない。今年の夏は異常に暑かったが、私が論文を書ける環境を求めて「避暑」した費用も、もちろんすべて持ち出しである。まったく金銭的には回収の見込みはない。「人より一円でも多く儲けたい」と、必死になって事業や投資に励んでいる人には、私の生活はありえない生活に見えるかもしれない。当然ながら、現時点では私には「老後の生活」などという未来は存在していない。将来のためのお金があるくらいなら、今の生活を何とか回転させるために回さねばならない。
  • でもお金のためでない方が、論文で自分の思い通りの「絵」が描ける、という風にも思うようになった。もちろん、単なる恣意や主観を振り回したいという意味ではないが、仮に多額の報酬が前提されていると、様々な配慮を必要とすることにもなるだろう。
  • 深夜にふとネットで、院生の頃の他専攻の知り合いたちの名前を入力して近況を知る。Kさんは一昨年に専任の研究員に就職していた。Mさんはどうやら今年から専任講師になっている。Sさんは元気に学芸員を続けているようだ。Hさんは非常勤講師で頑張っている。私が院生協議会などで一緒に活動していた役員メンバーの大半は研究職の人生を歩んでいる。専攻代表を務めるということは、やはり自分の研究やその研究分野に対して何らかの強い思いがあるのだろう。私も彼らも、研究以外の生活ができない「仲間」だったのかもしれない。彼らとふたたび一堂に会する機会はやってこないだろうが、ネットで近況を知ることはできる。彼らのうち誰かが、私のサイトやこのブログを読んでくれているだろうか、とふと思った。