(Ich denke)「だから」なのか、「たまたま」なのか

  • 人から発せられた言葉には、端々にその人の思想が現れているものだと思う。
  • 例えばNHKで放送された、中国での教育の過熱ぶりを描いた番組を見た感想を、誰かがブログに書いているとする。子ども同士で騙し合い、買収し合い、あらゆる手段を使ってのし上がろうとする子どもたちと、それをけしかける大人たち。学校現場がまるで政治家同士のような醜い状況になっている映像をみて、或るブロガーは「ああ、やっぱり中国には民主主義がないんだ」と書いていた。
  • 言葉の端々に思想は現れる。その放送内容が「NHKお得意の」ヤラセではないとしても、その学校の様子が中国全土に共通の現実なのか、そうでないのかは今の所、私に知る術はない。もちろん、その内容が「だから」なのか、「たまたま」なのかも分からない。しかし、人はこれまでに見聞きした他の情報を結びつけて、自由に「因果性」を見出す。
  • 私は不可知を論じたいのではない。断片的な情報で必然性や偶然性とくっつけて「因果」を語ってしまう人の言葉に興味がある。またその因果の内容も、或る原因に基づく結果と捉えているのか、それとも或る事象を生じさせる原因と捉えているのか、そこにも興味がある。思想的立場はどうあれ、事象に対する観察においてあらゆる場合に慎重さを失わない人の言葉は、揺らぐことがない。「風ニモマケズ」ではないが、そういう言葉を発せられる人に、私はなりたい。