先日、兄の四十九日が終わりました

  • 今日は、亡くなってから初めて行った兄の部屋のことを書きます。兄の住んでいた部屋はモノだらけではありましたが、神経質なまでに「分類」されていました。「まだ使えるもの」や「少し残ったもの」を「捨てる」という事ができなかったようです。
  • たとえば、コンビニの弁当を入れた袋を大きなゴミ袋に入れて保存し続けていました。70リットル程度の袋に10近くも。何に使ったのか、何かに使いたかったのか、ただもったいなかっただけなのかは分かりません。他にも、服用していた鎮痛剤の空箱を100箱以上、食べたクッキーの空箱を100箱以上、部屋に残していました。何かに使える、と思ったら何でも残してしまうようでした。こうして友人を誰も呼べない部屋になっていったようです。
  • また、大学生の頃から一年一冊買い続けていた手帳が、亡くなる年まですべて保存されていました。金銭出納帳、外食した友人の名とお店の名前、食べた食事は几帳面にメモされていました。大学の頃は、手帳に受講した授業をすべて記録していました。兄は現職の頃の大槻義彦教授の物理の講義を履修していたことが今回分かりました。兄は早稲田に在学中、「早慶を卒業する」べく慶応大学の通信制に入学しました。その頃のノートやテキスト類も残っていました。
  • 兄の蔵書で一番の空間を占めていたのは朝鮮半島情勢に関する本です。他には語学書が大量に残っていました。兄はハングル学習と中国語学習に死の直前まで執着していました。漢検1級、ハングル検定2級、中国語検定とフランス語検定3級を取っていました。「社会人でも勉強する生活」にプライドとアイデンティティを持っていたようです。部屋の4ヶ所にCDプレーヤーを置き(洗面所、風呂含む)、部屋のどこにいても語学学習ができるようにしていました。「石にかじりついても」という言葉がありますが、兄の生活はまさにそれでした。
  • まだ色々と書きたい話があるのですが、今日はとりあえずこのへんで。