(28日)広島二日目

  • 朝、朝食バイキングへ。1440円で大満足。胃がはちきれそうなほど食べつくした。やはり魚介類を中心に食べていた。
  • チェックアウト時に、宿によく置いてある、支配人あての『お気づきの点』に、用紙いっぱい昨日味わった不満をしたため、フロントに渡す。きれいな宿だったが、ネット予約者への差別がなくならない限りは泊まらないだろう。
  • 市内中心部に戻って、ひろしま美術館へ。私は2度目、相方は初めて。ナポレオン関連の展示を見る(割引で1000円)。指導者の英雄好き、独裁者好き、というのは世界共通である。
  • 細かい話だが、この美術館内の喫茶店のコーヒーは一杯472円するのだが、「ポット」で出す。タッセではなく、ケンヒェンのカフェーである。私たちは二人ともコーヒー好きなので、計5杯。満喫。豆の種類もブラックでちょうど良い苦味と酸味だった。
  • 広島平和記念資料館へ(入館料50円)。私は3度目、相方は初めて。今回は「音声ガイド」(300円)を借りてみた。吉永小百合が朗読しているというのを知ったからだ。
  • 私がここに初めて来たのは小学生の修学旅行で、二度目は数年前に山口へ学会に参加する際、途中で立ち寄った。そして今回が三度目だ。
  • 戦争のリアリティ、被爆のリアリティ、後遺症のリアリティの伝え方はかなり工夫されていて、数字を使ってマクロで核兵器を捉える視点と、「ある一人の死者」の被爆当日の生活を紹介するミクロの視点の両面を伝えようとする姿勢は評価できる。ひとつの遺品について、その被爆死者がどこで被害に遭い、どう苦しみ、そしてどのような死に方をしたのか。ひとつの人間の人生の生々しさをより詳しく伝えることで、それを一瞬で奪う核兵器の残虐性を、通常兵器とは異なる残虐性を浮かび上がらせる。
  • テレビで好き放題言っているコメンテーターの「核武装賛成」論には、決して「一人一人の生活者の死の危険性」が出てこない。中東でもアフリカでも毎日「紛争が起こっている」。しかし、その抽象的認識で止めてしまうことなく、それはすなわち「毎日市民が死んでいる」のだということ、それは「明日のあなたかもしれない」というリアルな認識を、メディアは伝える義務がある。
  • 現在の世界は、核が拡散する方向に向かっている。私も社会思想史に関わる者として、学校では教えない「核廃絶の社会思想」をカリキュラムに盛り込む必要を感じている。
  • こうして、くたくたになるまで動き回った広島旅行は終了。帰りのレールスターで爆睡して帰った。
  • 帰宅後、郵便受に三重短大から来年度の「社会思想史」のシラバス原稿の依頼が来ていた。来年度から2コマ連続から1コマ講義に変更となる。単純に内容を半分にするわけにもいかない。「平和思想史」を交えた、一般的な社会思想史とはかなり異なる、オリジナルな構成をやってみたいという気持ちが湧き上がってくる。しかし、それを考えようとすると時間がなくなる。現在抱えている三本の原稿を間に合わせつつ、このシラバスも手を抜きたくない。「そういうことを考えるから寝る時間がなくなるんだ」と相方に指摘されてしまう。ごもっとも。今夜は旅の疲れもあって早々に寝る。