(4日)沈思黙考

  • 半日ほど休み、午後遅くからアイデアをひねる時間。まだ「細胞分裂」が始まらない。図書館から借りてきた本をさらに読む。「重罪だからダメ」という論立ては、「罪に問われなければ(バレなければ)OK?」という「邪念」を許すことにならないか。「罪だから(いけない)」という場合の「罪」という言葉を若者が耳にした場合、実定法の条文にのみ注目させることにならないだろうか。
  • また、性暴力が「許される」(たとえば、戦時中の軍隊組織など)世界では、どうだろうか。「お墨付き」をもらって、思う存分「性暴力」で発散させてしまうのだろうか。「条文があろうがなかろうが(以下の根拠で)悪い」という内容を倫理学は示す必要がある。しかも、それを18歳の学生に分かるように。そんなことをずっと考えていた。先日読んだ石川達三の『生きている軍隊』が、自分の思考の熟成に少し役立っている。
  • 石川達三とは大きく世界観が異なるのかもしれないが(そもそも私は小説の世界は全くの素人だ)、『ふぞろいの林檎たち』で有名になった山田太一もまた、一般の善良な人々が意外な行動に(時には、倫理的に外れた行動でさえも)走ってしまう「必然性」を描くことに長けている小説家だと思う。そういう小説を読むと、どうして人間の世界に「倫理」が生き続けてきたのかを考えるヒントがあるように思う。