遺体切断事件の続発に思う

  • 「遺体をバラバラにする」と聞くといかにも残忍なイメージをかきたてさせるが、いずれの事件も遺体の処理に困った犯人が「運搬のために」切り刻んでいる。
  • 「バラバラ殺人」は、被害者への「怨念」が優先され、殺人行為としては合理性を欠いているように見えるかもしれないが、犯人による「運搬」という面を考えれば、犯人なりの事情があることは理解できる。ただ、それでも殺害遺体の切断という行為は、犯人の、身体を有する「人間」に対する認識の甘さというか、浅さを感じる。
  • 憎んでいる相手を殺害するところまでは相手を精神的な存在としての「邪魔者」として見ており、殺害によってその「邪魔者」の抹殺に成功したと思っていたのが、相手が生命活動を終えた途端に、精神的な邪魔者は物質的な邪魔者と化し、一人では重くて処理しきれない「肉の塊」となって、犯人を苦しめ始める。
  • 犯人は、この世で一番消し去ってしまいたかった被害者を「消滅」させるために、自分の部屋の中に「遺体処理」作業場を設営せねばならなくなる。見たくもなかった、その憎んでいる相手の血にまみれながら、数日もかけて自らノコギリを使わねばならなくなる。私のように殺害や遺体切断をやりたいと思ったことのない者からすると犯人は、人間は精神だけでなく身体をも有していることを忘れていたかのような苦労をしているように見える。
  • 例えが変だが、ロシアで起こっている事件などを見ると、プロの殺し屋は決して自分で遺体を処理したりはしない。凶器すら殺害現場においていく。ニュースでは犯人が「冷静に」遺体を切断したというが、本当に冷静ならば遺体を苦労して切断したりはしない。肉体に触れもしないだろう。それ以前に、犯人の自宅で殺害したりはしない。
  • 犯人は殺害で被害者に「勝利」したと思ったかもしれないが、犯人の人間理解の浅薄さを日本中に晒すこととなった。その犠牲となった被害者の無念を思う。