(6/13)講義で気づいたことのメモ

  • 性暴力の問題を扱うと、これはコピーしたテキストの問題かもしれないが、必ずある種の誤解が学生から生まれていることに気づく。
  • 「女性が一人で夜道を歩いているから性暴力被害に遭う」といった「神話」に対して、「この神話は(防犯対策としては)必要なのでは」という意見が来ることである。
  • 私も(そしてこのテキストの執筆者も)別に「女性はどんどん一人で夜道を歩きましょう」という話がしたいのではない。「加害者から発生している犯罪の対策を被害者に求めて良いのか」という「倫理的な」疑問を問うているのである。
  • その話の言わんとすることがどうしてもピンと来ない、という学生のために、私は例えとして「自転車泥棒」を挙げた。大阪は治安が悪く、自転車の鍵を一つしか付けていないと盗まれやすい。だから鍵は二つ付けましょう、と警察や防犯協会は指導する。たしかに「盗まれる統計」からみれば、それが正しい対策なのかもしれない。
  • しかし、どんな犯罪も犯行する者が犯行しなければ発生しないのであって、被害に遭う側(自転車の所有者)が鍵代を負担しなければならないのは、正直納得のいく話ではない。それよりもまず、犯行しようとする現場を押さえて逮捕してしまうことを強化する方が先ではないか。「自転車泥棒は必ず捕まる」社会になれば、その防犯効果は高いだろう。
  • 被害に遭う側に対して「夜道を一人で歩くから悪いんだ」という発想は、「満員電車にスカートをはいて乗るから悪いんだ」「男ばかりの職場に入社するから悪いんだ」「スケベな指導教授のゼミに入るから悪いんだ」と言っていることと同じである。
  • 自分の思ったことが被害者を責めることになっていないか、少し立ち止まって考えてみるだけでも意味はあると思っている。