(6/18)月曜の講義も終わり、女性学も佳境に入る

  • 月曜の情報倫理の講義が終了。あとは試験問題を作成するだけである(今回の講義は鈴木先生、榎原先生に本当にお世話になりました)。前期は若干荒削りな内容になったが、後期は微修正の上、より密度の濃い構成にする予定。今回の二時限で、私が情報倫理で論じるべきだと考えるテーマもより明確になった。その意味でも感謝している。
  • 午後から女性学。今日のテーマは「マスメディア」。マスメディアから「ジェンダー・ロール」のメッセージが流される原因には、マスコミ業界が男性優位の社会であることが関係する、という話で去年までは話していた。これは元々テキストにしていた『はじめてのジェンダースタディーズ』の議論の流れでもある。だが今年、私はその議論の流れに一つの要素を加えた。「マーケティング・リサーチ」による「性別役割の固定化作用」である。
  • 広告対象を細分化することは、広告の効率を上げるために広告主にとって重要である。そういう「効率性」は、昔よりも今の方が明確になっている。たとえばファッション雑誌は「25〜30歳の年収が○○○万円台のOL」といったことまで限定して創刊されている。そうすることで広告主がターゲットを絞った広告を出しやすくなる。平たく言えば「同じ広告料でより儲かる」のだろう。このような構造を放置している限り、マスメディアが発信する「ジェンダー・ロール」など永久になくならない、という気がしてしまう。
  • ジェンダー・ロール」を垂れ流すマスメディアへは批判が必要であるが、その際の批判をどう行うか、という問題がある。求人雑誌はいまだに雰囲気でどちらの性別に向いているかのメッセージを流し続けている。これは上に書いた「マーケティング」による雑誌と広告主との関係が以前と何も変わっていないことを意味している。「女性向け」から「(おもに)女性向け」になっただけ、の感がある。法規制の限界を感じる。
  • 結論は(すでに言い古されていることだが)「メディア・リテラシー」ということになる。ただ、「良くない」ものに敏感になることも大切だが、「良い」ものへエールを送ることも重要である。そういう話を講義でしゃべった。