(blog考)「触れない」と非難する人

  • 私も時々拝見する、ある著名な弁護士のブログで、この間初当選した東京選挙区の丸川氏が候補者として不適格であり、その候補に投票した人や、候補を支援した政治家をも批判していた。私の意見としては、不適格(とされる)候補者と「その候補者への投票者」を同列に批判するのは投票者に酷な気がする。やっぱり立候補したり、それを応援する政治家の方が悪いと思う。立候補さえしなければ、有権者は投票自体ができないのだから。ただ、弁護士という職業上、自己行為への責任に敏感な発言になるのも致し方ないような気はする。
  • 問題はここからだ。コメント欄に「丸川を批判していながら辻元清美に触れていないのはけしからん」という非難が載っている。辻元に比べたら丸川は大したことはない、ということらしい。私は辻元議員と丸川議員を比較したくてこの話を書いているのではない。「触れていない」から欠陥があるという怒り方は、何と理不尽なものだといつも思うからだ。
  • 以前、「ザ・スクープ」などのフリーキャスター・長野智子さんのブログでも、この種の「触れていない罪」を問おうとする書き込みが何度も何度もあった。例えば、日本の製薬企業や地方警察の「犯罪」を追求する番組を作っているという話題を長野さんが書いたら、そのコメント欄に「貴殿の番組は中国共産党の犯罪にはなぜ触れないんだ」といった調子で書いてくる。読む側も一本、二本なら「バカじゃないのか」と流しもできるが、何十何百になると、人間の病的な側面を見る思いがした。しまいには「テレビ朝日の政治的偏向」を執拗に書く輩も張り付きだし、結局このブログのコメント・トラバ欄は閉じられた。
  • 言わないから怒っていない、触れないから許している、って勝手に決めるなよな、確認もしないで。