(10/12)「人間と文化」5講目

  • 摂津富田にて。「ドイツ語を通じて現代世界を学ぶ」という壮大な趣旨のもと、初級文法を習い終えたばかりの学生に、国際問題の用語を少しずつ交えて進めている。語学を学ぶ側としては90分が集中力の限界であるが、教えている側には全然足りない。初級文法のテキストに漏れている文法項目などを少しでも解説したいからだ。この大学は薬学部である。学生が社会人としてドイツ語の言葉を見る環境に立つ可能性も大きいから、知らない単語を見た時のヒントも伝えたい。でも、教える側の欲張りは学生の消化不良の元になる。戒めないと。
  • 夜、三重短期大学に「学生用図書」の要望書を送る。この書類を作るために、水曜日の講義後に図書室内のパソコンで検索をしてきた。三重短期大学には、驚くような歴史的文献(特に思想系、経済学系)が揃っている。戦前の岩波文庫もどっさりあって、研究者にとっては有り難い場所だが、18,19歳の学生がその活字を解読できるかどうか、という問題は残る。どの大学でも同じ傾向であるが、ある思想家の本が集中的に揃っている大学には、たいていその思想家を研究している専任教員がいる。揃ってなければ、いない。一人の非常勤講師にできることは限られるが、せっかく毎年開講している科目なのだから、期末の読書感想文のためにも、取り上げている思想家の本を揃えたい。
  • 「社会思想史」を担当するようになってから、随分と政治学社会学など、哲学以外で通史的に詳しくなった。自分で哲学の論文を書いていても、知らないうちに哲学の論文のオーソドックスな方法論を使っていないことに気が付くときがある。そのために慌てて書き直したりする。これが「強み」か「弱み」かは分からないが、知らないよりは知っている方が良いだろう、ということにしている。自分の出自が哲学であることに変わりない以上、悩んでも仕方ないと考えるようにしている。
  • もし論文で失敗しても、それは自分を学ばせるし、成功すれば自分を励ましてくれる。いずれにせよ、挑戦してマイナスになることは無い。