(11/6)翻訳例会

  • 昨日の日記で「研究会の準備」、と書いていた研究会(例会)に行ってきた。第20回。今日と次回(と次次回?)は私の担当になる予定。
  • 話が進んでいく中で分かってきたのは(というか、これは以前から言われてきたことだが)、『小論理学』の節ごとに添えられている補遺は、かなりあてにならないということだ。いい加減、とまでは言わないが、補遺は多くの場合ヘーゲルの講義を聞いた学生による筆記ノート(の、しかも書いた学生も、講義年度も異なるノートの寄せ集め)なので、本来の意味での補足説明たりえていない。しかも『小論理学』の場合は、補遺の元になった学生のノートが散逸しているのだから、どういう話のどの部分を使ったのかも確かめようがない。
  • 自画自賛ではあるが、私たちが今やっている「1831年講義」は、最晩年のヘーゲルが色んな言い換えを試みて学生に説明しようとしているのが伝わり、一連の「トーク」として読める点がこれまでの文献にはなかった点だろう。「ヘーゲル本人によるヘーゲル論理学の解説」としては決定版になるのではないだろうか。そういう貴重な資料を台無しにしないように、昨夜も必死で訳していた。体はかなりしんどいが、1ページ進むごとに達成感はある。