(6/20)京都に生まれて

  • 「論理的」第11回。もうテキストもほとんどお仕舞いになってきた。残り僅かだが、何を伝えればいいだろうかと考える。後期は今回の反省を踏まえて、もう少し「実践的」な練習を増やそうと検討中である。野矢氏が著書で「接続表現」の駆使に固執している意味が少し分かってきた。
  • さて、今日は私の誕生日である。といっても、この年齢になると「ああ、もう一年経ってしまったか」という思いの方が強い。
  • 両親が(二人とも元気である)祝ってやるから京都に来い、というので、京都駅まで出かける。京都駅界隈は我が家のホームグラウンドである。といいながら、七条まで出かけることは稀である。たいてい八条口界隈で食事を済ませてしまう。今回もそうだった。「空いているから」と入った店が残念な味で参った。私が溜まっている仕事が気になって正直楽しめなかった。私も仕事が一段落してから誘いを受ければ良かったと、後から思った。
  • 帰宅後、疲労が強く、疲れが取れるまで休む。眠気が取れ次第、深夜から明日の準備。最近、内臓の疲労なのか疲れるのが早くなった。もう少し身体をいたわらないと。