「安楽椅子探偵」

  • 先ほど、「解決編」を見終える。やはり犯人は予想通りだったが、犯人確定のプロセスに一部、気づかなかった点があった。これではもし応募していてもベスト7には入れまい。このシリーズは全作見ているが、つくづく推理小説は好き嫌いが分かれるだろうなと再認識。
  • 原作者がエピローグでも話していたが、「挑戦状」と銘打ち「犯人は誰か?」と煽りながら、実のところ、このドラマは推理ドラマの面白さへの「招待状」である。「犯人は誰か」というよりも、「原作者は犯人が誰であるかと描いたか」を当てるのである。「犯人は誰か」と「作者は犯人は誰かと描いたか」の間には、私たちの想像以上に、思考に大きな違いがあるのではないかと、最近思うようになった。もちろんフィクションなので、現実に殺人事件があったわけではないのだが、視聴者はついつい動機の強さなどに目が奪われ、「実際にこういう事件があったら誰が犯人らしく思えるか」という蓋然性から容疑者を絞り込んでしまい、意識が傾いてしまう。しかし、おそらく推理作家にとって、極論すれば動機などどうでも良く(後からいくらでも後付けできる)、提示された登場人物の動向や発言からアリバイを確定し、「この人以外は(殺したくても)殺せない」という論理的必然性を探り当ててもらおうという、一種の宝探しのような世界だと思える。
  • 大学の演習で「論理的思考」を学ぶ際に学生が最初に躓くのが、この「論理の正しさ」という世界を肯定するところである。こういうフィクションのドラマの世界に慣れていれば、「論理的には筋が通る」世界も親しみやすいのではないかと思った。