派遣労働者問題の報道

  • 昨日、現在の私の思いをとりとめなく書いただけのエントリが、意外に関心を持って頂いたようである。夜中に書いたせいか、今読み直すと文意がよく分からないところもある。字句を訂正しても良いのだが、改めてこの問題についてどう感じているのかを整理したほうが生産的だと思うので、このエントリをアップしておきたい。
  • 派遣労働者が仕事を求め、大都市の公園等で援助を受けている様子を放送する局の一部で、そのような「災難」の原因を、個々の労働者の生き方に見ようとするやり方について(そういや、今朝チラッとみのもんたが同じようなことを言ってたな)。私には、問題の本質から目をそらさせる典型的なやり方にしか見えない。派遣でも派遣でなくても、労働者の「生き方の真面目さ」など、百人いれば百通りだろう。どんなに真面目に働いていようが、工場全体で派遣が首を切られているのを報道で知っているだろうに、「真面目に仕事をしていれば今回の被害に遭わずに済むのではないか」と思っているテレビ界の高額所得者がまだまだ多いのは、正直辟易する。フリーキャスターは「個人事業主」なので、こういう雇用の話になるとつい、自分がテレビ界を生き抜くためにやっている「努力」と重ね合わせ、派遣で雇われている人間の立場を理解しなくなるのだろうか。
  • (また例えを出すが)代々沿岸部で仕事をしてきた家族が大津波を受けて家が全壊し、避難所で肩を寄せ合っているところに「なぜあなた方は沿岸で生活をしてきたのか」と問うことがどのくらい愚かしいか分からないのだろうか。その家族を問い詰めたところで、「海の近くで生活していたから悪かったんでしょうか」という、自分たちを責めるだけの、何の救いにもならない「答え」しか出しようがないではないか。地震予測は勿論、数百年単位の地震の頻度や津波の頻度、波の高さのデータまでも、沿岸部に生活する庶民の自己努力で調べておかねばならず、それができないなら海のそばに住むな、と言うのだろうか。今まさに、「強者の論理」の実例が、一部のテレビキャスターたちの口から語られている。
  • (追記)話は派遣労働者問題に限らないが、「強者の論理」の大きな特徴は、自分がやってきた人一倍の努力を基準にして他人に我慢を強いることである。これでは努力したくてもできない人間の立場など理解できるはずもない。麻生首相の高齢者の医療費に関する発言はこの論理である。どこかの若い知事も典型的な「強者の論理」だが、こういう人物に「福祉政策」を任せてはいけない。「強者が許せる範囲」の弱者対策に政策を歪め始めるからである。