人生の岐路なのかもしれない

  • 最近、というかこの一年前ほどからずっと思っているであるが、「自分の現在の研究生活は、必ずしも自分が望む研究生活像とは一致していないのではないか」と思うようになってきた。
  • 仕事ならば自分の意志とは無関係に継続しなければならない場合もあるが、(幸い私は現在、「カネのため」に嫌々やっている仕事は一つもなく、講師仕事の満足度は極めて高い)、研究はそうではないだろう。もちろん、「専任講師就職」のための研究、という例外もあるだろうが、それだってまったく自分がやりたくないものを、もしやり続けなければならないとしたら、それは大いなる不幸である。金も時間も費やして、実はその研究は特に私がやりたい内容ではないものだとしたら、資源の激しい無駄である。
  • 私の現在の研究は、私が今望んでいる研究なのかどうか。政権交代で今行われようとしている「公共事業」が本当に必要なのかどうかが見直されようとしているご時世に、私一人の見直しが自分でできないようでは、おそらくこれからの人生を自分で切り開くことも不可能だろうと思う。
  • 今日、そういうことを考えるきっかけになる出来事があった。各方面に良い顔をしようとして言葉にならないストレスをため込んできた自分がほとほと嫌になった。長い人生の中には、決然と関係断絶を宣言しなければならない時もあるのではないか。
  • 思い立ったが吉日。今日の決意を忘れずに、一つ一つ着実に実行に移していこうと思う。そう思っただけで、心の中の重圧感がずいぶん軽くなったような気がした。自分の人生を自分が望む方向で進めていくのは大変だと、改めて思った。