(20日)津へ今年最後の仕事

  • 「社会思想史」講義は、今年最後。今日は珍しく特急を利用せずに済んだ。しかしながら、準備で一睡もできず。最後の最後までどの資料を紹介し、どの資料をカットするか、迷ったのだ。
  • 結局、予定通り「ウーマン・リブ」の思想について紹介した。田中美津『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論 −増補新装版−』(パンドラ、2004年)を使用。特に「とり乱し」と「出会い」の論理について、文章を音読させつつ紹介した。有名なパンフ『便所からの解放』は、資料として音読させず添付した。
  • 大半が二十歳に満たない短大生たちは、当然「リブ」運動も知らなければ、妙な先入観(「中ピ連」のピンクヘルメットデモ行進などにたいするメディアの揶揄、バッシングによる)もない。それが良かったのか、講義後の感想文には、田中の思想に対して好意的な感想が並んだ。女が女であることのオリジナリティを再評価せよ、というメッセージに反応する短大生たちを見て、彼女らが幼少期から受けてきたであろう「社会的抑圧」のことを考えずにはいられなかった。
  • どうして「リブ」運動が現在、そういうものが無かったかのようになってしまったのか、その点についても触れておいた。社会思想史という視点では、田中美津の思想は今後どう扱われるのか。それとも抹殺されるのか。今回の講義は自分にとって「21世紀の社会思想史」を考える上で大変有益な講義になった。
  • 帰宅後、疲れてはいたがテンションが上がっていたのか、もう一つ用事をこなそうと図書館へ。雑誌『太陽』と『文章世界』からコピーを複写。これで『婦人公論』を除いて、与謝野晶子平塚らいてうが「母性保護論争」で発言した評論文のほとんどは現物を入手できた。
  • エレン・ケイ『児童の世紀』(小野寺信・百合子訳、冨山房百科文庫、1979年)も借りてきた。ケイが考えたことと、らいてうがケイの思想を通じて伝えようとしたことの差異が、論争の要因の一部を成していると見ているのだが、これは読んでみないと分からない。
  • 久しぶりにアルコールとともに夕食。今年最後の最後になったが、一定の満足を得られた講義内容になったことへの慰労。