「今の日本社会はあなたにとって理想的か」

  • 2コマ連続講義の後半で、受講生の学生(出席は13名)に、「今の日本社会はあなたにとって理想的か」という質問をした。これをごらんの方は、Yes or No、何対何になったと思われるだろうか。正解は8対5である。つまり、社会思想を学んできた結論として、「今の日本社会は私にとって理想的だ」と答えたほうが多数派なのである。これはいったい何を意味しているのか。実は、私はこの回答に社会思想史を教えるための大きなヒントが隠されているように思うのだ。
  • 直線的に、私たちは「社会のことを良く知らない人ほど今の社会に安住する気持ちになり、そういう人たちが今の社会の問題点を詳しく知れば、今の社会に安住すべきでないと思うはず」と考えがちだ。私の偏見かもしれないが、市民運動家の人々に、この発想を持つ人が多いように思う。しかし、事はそう単純には行かない。
  • 私は講義中、世界各国の社会思想や、現在の諸外国の格差社会の現状、また過去の日本の社会状況など、可能な限り自分たちの現在の社会以外の現実についても考える機会を設けていった。その結果、「今のニッポンは私にとって良い国」という結論を下す学生が増える結果になっているのだ。明治時代に比べて女性の地位は向上した、南米に比べて日本の治安は安定している、日本にはヒトラーのような独裁も民族虐殺もない、だからOKじゃないか、と。
  • 私は彼らの意見に、先進国の学生に共通の課題が潜んでいるように思えてならない。先進国に住んでいる限り、発展途上国に比べ、衣食住に困窮する可能性は減少するし、独裁国家のような不自由もない。「理想の社会」を描く機会がなければ、現状を「最高」というしかない。
  • 逆に少数派のNoの学生は、社会問題の諸相が目に入る。環境問題、経済格差、治安の悪化など。しかし、一方で現在は良い暮らしができていることも認める。
  • 彼らが失業や過労死の危機に見舞われたり、犯罪被害者になったり、家庭を持ってから自治体の福祉政策の貧困さに直面したり、納税額や保険料の高さにあきれ返ったりしたとき、その「今がOK」という感想は変化していくだろう。しかし今は、少なくとも安保闘争の時代のように「学生は反体制的なのが多い」時代では無い。今より悪くなっては困るが、今よりも良くしたいという積極性も乏しい、といったところか。
  • 私は「公」の視点で世界の社会問題を憂うことも、「私」の視点で「生活の豊かさ」に満足したい心情も、ともに否定しなかった。ただし、同じ講義を聞いてきた結論として、まったく逆の意見を持つ人が世の中には居るということと、「公」も「私」も、複合的に社会を観察して総合的に判断できることが、社会人に求められる必須の能力であることを伝え、講義を終えた。
  • 講義に対する学生たちの最終的な感想はおおむね好評だったようだ。私はほっと胸をなでおろした。中には、大阪から三重まで毎週教えに行ったことに感謝してくれた学生もいた。こういう言葉はお金抜きに嬉しい。往復6時間の道のりが無駄ではなかった、と思える。
  • 津駅ビルのチャム3階で、しばらく食べられないであろうスガキヤのラーメンを食べた。奮発して特製ラーメンの大盛り。私はスガキヤの味にすっかりなじんでいる。ついでに書くと、ヨコイのパスタソースやオリエンタルカレーも好物である。帰りの電車で、伊勢中川駅を出て数分で爆睡した。目が覚めたら鶴橋駅に着いていた。なんという疲れ具合。途中、大和八木付近で混みあうのだが、多分私は重いカバンを座席の横に置きっぱなしにしていたはずである。悪いことをした、と思ったが、鶴橋駅を出たらもう車内はガラガラである。
  • 疲れを癒すべく「琥珀エビス」で乾杯し(最近の二人の一押し)、風呂に入ってさっさと熟睡する。明日はもう別のスケジュールが始まる。