(Politik)「赤字減らし」で嫌われる日本

  • オウム問題追及で有名になったジャーナリスト・有田芳生氏のブログ、有田芳生の『酔醒漫録』を、私はほぼ毎日見させてもらっている。
  • この頃の話題は、何と言っても東京都知事選である。有田氏は東京都民、つまり有権者の立場で「誰に投票すべきか」を検討している様子だ。有田氏は田中康夫氏を支持し、今回の都知事選での立候補を期待していたようだったが、その期待は裏切られた。現在の「石原現知事対浅野史郎氏」の対立構図に対して、そして「反石原」の声を浅野支持で纏めようとするキャンペーンに対して、ほぼ毎日のように疑問を提示している。
  • このブログにはコメント欄とトラックバック欄がついている(いずれも承認後掲載)。統一教会関係者から執拗なスパムトラックバック攻撃を受けているせいもあるらしいが、コメント欄は有田氏に対する批判(非難?)のような書き込みも掲載されている。
  • 田中康夫氏が都知事選に立候補することを期待していた頃は、長野県で田中氏に批判的だった人物からの書き込みが相次ぎ(それは今も続いているが)、今は浅野氏を「反石原」のシンボルにする事への疑問を書く度に、浅野シンパと思われる人々から非難が寄せられる。
  • この数ヶ月、コメント欄でのやりとり(応酬)を読んでいると、一つの大きな疑問に突き当たる。自治体の首長が自治体独自の努力で「赤字を減らす」ことは良いことなのか、悪いことなのか、という疑問である。
  • 田中康夫長野県政は大幅に赤字を減らした(らしい)。浅野史郎宮城県政は大幅に赤字を増やした(らしい)。今でも田中康夫氏を批判したい人は、「赤字減らしは必要な公共事業もしなかった怠慢によるもの」として切り捨て、浅野支持を増やしたい人は「宮城県では福祉が進まず赤字が増えたことよりも、情報公開を進めたことに意義がある。石原都政が続くよりマシ」と言ってしまう。
  • 赤字に苦しんでいた財政を独自に切り詰め、自治体住民にも負担を強いながら黒字にしたとして、それは有権者が候補者を選ぶ重要な基準になるのだろうか。どうもこの間の選挙戦の結果などを見ていても、「赤字を減らすこと」が「票」になっているようには見えない。むしろ逆に、「住民や地元業者に冷たい政治をする」とネガティブ宣伝をされてしまい、それが一定の効果を上げてしまう状況が見受けられる。このままでは、自治体が何らかの手段で莫大な増収でもしないかぎり、赤字など絶対に減らない。
  • 国や自治体が公共事業を垂れ流してこさえた膨大な赤字を首長や議員の努力で減らす、このことを「票」につなげることはどこまでできるのだろうか。「赤字を減らす」ことが一番の有権者アピールになることが全国で起これば、どの党も赤字を減らしたことを実績にしたいだろうし、そもそも自民党が自ら進んで国の赤字を減少させるだろう。
  • 目先の票で政治活動の内容を決めてしまう党や候補者が多数の現在、有権者が本当に国や自治体の赤字を減らしたいならば、有権者が「赤字を減らした実績を掲げる」「赤字を減らすと公約する」候補者に投票する以外にないような気がする。さらに、有権者は「どういう手段で赤字を減らしたか(住民の犠牲だけになっていないか)」、あるいは「どういう手段で減らすと公約するのか(住民の犠牲だけで済まそうとしていないか)」を吟味しておかねばならない。
  • 地方選も近い。美辞麗句の「化粧」(財政の悪化を考えない公約の連呼)に惑わされずに、「地肌」の良さ(健全な自治体運営による計画的な住民サービスの充実)を打ち出せる候補者が増えて欲しいと思う。