(7/25)延長戦に決着

  • 今朝、悩みに悩んだ女性学の成績を付け終わり、大学へ送る。併せて「再試験」問題も一緒に送る。私は自分に突っ込んでしまった。「いくらなんでも時間かけすぎ」。
  • すでに研究の予定を三日も押している。すぐに次のスケジュールへ移行しなければならないのだが、今夜は後輩のパリ留学の壮行会があり、それに出席する予定。彼は昨今のユーロ高に頭を悩ませていた。生活費等の諸経費の予定が大幅に狂うためだ。今、銀行で1ユーロを手に入れるには170円以上しますからねぇ。
  • 話を女性学の成績に戻すと、最近の大学の成績というのは(科目によって異なるだろうが)、「出席」を単位評価に含めて欲しいという学生の声が非常に強い。実際、私の担当する科目のすべてで出席を(わずかではあるが)ポイントとして成績に組み入れている。
  • しかし、ぶっちゃけこんなものは要らないのだ。極論すれば、学生が出席するかどうかなど、本人の意志ではないか。内容があまりに簡単で、その時間を別の科目の勉強に使いたいなら使わせてあげればよいと私は個人的には思っている。「自己責任」という言葉が生まれる遥か前から、大学の成績というのは「自己責任」の世界だったではないか。本人の意志で出席するかどうかを決めれば良く、例えば試験、例えばレポートの「一発勝負」で単位を付けるのが、私にとっては一番スッキリして良い。
  • そもそも私が成績を付けるのに、なぜこれだけ時間がかかったのか。それは成績にかかわる情報の種類が多すぎるからである。毎週の出席点、毎週の短い感想文の採点(全13週)、そして最終日に提出してもらった読書感想文。これがまた内容の優劣に幅が開きすぎていて、最高の出来なら満点にすればいいだけだが、その逆の場合、下げ具合が難しい。
  • しかしそれも先ほど解放された。後の悩みは大量の感想文用紙をどこへしまうか、である。このような成績の付け方をしていると、あと数年で私の部屋は感想文用紙で足の踏み場が無くなるだろう。