(Ich finde)「人間中心主義」

  • 哲学プロパー、と書いて思い出したが、以前「人間の生存を第一義に地球環境保護問題を考えることを『人間中心主義』と称することは適切か」という議論について、ある先生と話をしたことがある。哲学の研究者には「人間中心主義」という名称に染みついたネガティブ・イメージが引っかかる。「自然中心主義ではなくて、人間を大切に考える思想」を「中心主義」という術語で表現することに抵抗を感じる研究者が多いという。すでに日本語には「中心」という言葉に、単に「主体である」というだけではなく、人間なら人間の「意のままに他者の生存を脅かす」というニュアンスを含めて理解する人が多い、と私も思う。もちろんその理解は、現実の歴史の反映でもある。
  • 地球規模のコントロール、という場合それは、合理的制御というより「独裁、ファシズム」と解する人も多いのではないだろうか。これはもしかすると、例えば「社会主義」という思想の名称に対して、一部に「生産の全社会的統御による新たな共同社会の建設を目指す」と理解する人がいても、他の殆どの人は「一部の独裁集団によって国民を恣意的に操る恐怖社会を企んでいる」と理解してしまうのと似ているのかもしれない。はたして、これは一方が正しく理解していて、もう一方が誤解しているだけなのか、それとも両者が「コインの裏表」をそれぞれ見ているだけなのか。
  • 思想を新たに名称化する場合、世間の大勢が語句に対して受け取っている印象を優先させるべきか、それとも語句本来の意味に忠実に使用するべきか。前者を取るなら、一旦ネガティブ・イメージの染みついた名称は使用できないだろうし、後者なら使用すべきである。正反対の結論になってしまうが、さてどうするか。