(1/12)翻訳という修業

  • 今日は月一の研究会の日。昨年春に作成した第一稿を修正した「第二稿」を使用して発表しているが、それでもミスは見つかる。もうこうなると「打たれ強い」というか「無感動」というか、何の間違いを指摘されても「そうでしたか」としか思わなくなってくる。そこでいちいち感情を起こす気力が湧かない。自分の訳稿の発表前は憂鬱だ。毎回胃の調子が悪くなる。今回は風邪もひいてしまった。解熱剤が効かなければ出席すら出来なかったところだった。
  • 世の中には「翻訳家」という職業がある。私はその人々を心から尊敬する。これだけの苦労を重ねた訳書が出版されたとしても、予想される販売部数によって入ってくる収入は、翻訳やその検討会に要した時間で換算すれば、時給100円にもならないだろう。それでも研究者は翻訳それ自体に意義を感じて翻訳しているのだということを、読者の皆さんは知って欲しいと思う。(要は「翻訳書を買ってね」ということなのだが)
  • なんだか暗い話になってしまったが、体調不良なのが心に影響しているのかもしれない。帰宅後は夕食をとってすぐ爆睡した。今日だけで鎮痛剤を三度服用したが、明日は症状が少しでも好転していて欲しいものだ。
  • 一つ書き忘れたが、研究会でお会いした白井先生(昨日の記述参照)から、猿橋賞受賞者の寄稿文集をお借りした。すべて英文。日本語版がないのは残念。私が担当する理系の学生たちにも読ませたかったところだ。