(1/13)心ここにあらず?

  • もともと今日は、時間の余裕があれば「青春18きっぷ」で日帰り旅でもしたいな、と思っていた日だった。
  • 私が「青春18きっぷ」を使い始めたのは、「青春18のびのびきっぷ」が初めて発売された時までさかのぼる。私の記録が間違っていなければ、新発売の当時、私は6年生の春休みだった(つまり中学一年との間)。嬉々として「鈍行列車の旅」を楽しんでいたものだった。当時の付録である、「青春18」と書かれた記念のワッペンも喜んで胸に付けていたものだった。その後、8000円が一万円に価格変更された時期を経て、「青春18きっぷ」と名称が変わった*1が、それからも随分使わせてもらった。
  • その数年後、「分割民営化」という大嵐が国鉄に吹き荒れる。国家規模の不当労働行為が横行した。毎日のように職員の自殺が報道された。労働組合が潰されていった。その中でJRは誕生した。私の実家の近所に、梅小路などで働く国鉄職員の知り合いのお兄さん方がいた。彼らの職場では毎日のように自殺と組合差別、「人活(人材活用センター)送り」が話題になっているようだった。現在の若い鉄ヲタにとってJRがどういうイメージで見られているのか解らないが、私のイメージでは、JRという企業はずっと「血まみれ」だった。民営化後も、信楽福知山線で「血塗られた歴史」を重ねていったと言える。高槻には毎年のように、渡りきれなくなったお年寄りや障害者を「吹き飛ばしている」踏切がある*2。職員の声が活かされず、儲けのために安全を真っ先に犠牲にする鉄道会社、というイメージを払拭するのは長い時間を要するだろう。
  • JRになって以来、鉄道旅行の魅力は減退する一方であるが、それでもまだまだ昔の面影が残る路線や駅がある。そこを探して出かけている。「青春18」が発売される頃になると、いつもそういう地への思いを馳せる。やっぱり私は旅好きなのだと思う。
  • でも、そういうことを言っていられないスケジュールになってきた。なのに身体は風邪の影響か、頭痛で動けない。結局一日中、静養する羽目になった。京都の女子駅伝もテレビで見ることが出来なかった(スポーツ観戦が全般に好きな私は、実は第一回の京都の女子駅伝を見に西京極まで出かけているのだが、その思い出話は別の機会に)。昨日送られてきた論文の再校の締切もあるし、休み明けに出す原稿の締切もある。旅は当分お預けである。

*1:ウィキでは価格変更と同時に名称変更がなされたかのように書いているが、「のびのび」時代にすでに定価は一万円に変わっている。鉄ヲタの多いウィキにしては珍しい初歩的なミスである。

*2:私が知る限り、地下道等の建設は為されていない