(雑談)四人の「わが子」に対する注目度予想

  • 昨秋、私が四本の論文を書いたことは何度も書いているが、恐縮ながらまたその話である。もちろん私の書くような拙論なので、他の先生方の労作には足元にも及ばないだろう。しかし一応論文である以上、それぞれ激しく苦労もしたし、初校・再校も手間がかかる。ただ、これらが世に出た後、どれが一番注目されるのかは、もちろん大きく異なってくるだろう。私は関大哲学会に提出した論文が一番注目されそうな気がするのである。もちろん残りの三論文も、関係する研究者の皆様にそれなりの注目をして頂けるかもしれないが、この論文が勝りそうな気がするのである。
  • その関大哲学会に提出した論文を一言で言えば、「和辻哲郎『風土』第五章の内容に関する大きな秘密を発見した」ということになる。和辻研究や和辻批判の諸論文を、大学図書館国立国会図書館、その他論文検索サイト(CiNii等)で調べられるだけ調べたが、私が今回論文で発表する「秘密」が、和辻の『風土』出版(1935年)以来だれも発表してこなかったということが分かった。もちろん、これだけ大きな「秘密」なのだから、私が未だその「秘密」を暴露した論文を発見できていないだけかもしれない。また私が不安なのは、多くの和辻研究者はその「秘密」を「知っていた」が、誰も「言わない」だけかもしれない、ということだ。つまり私は「王様は裸だ」と言っているだけかもしれない、という不安だ。
  • しかし、一度裸にしてこそ新たに発見できることもある。神秘のベールの内部を発見したにもかかわらず、それを隠したままにしておくのは、研究者のモラルにかかわる問題だと私は思う。私の意図は皮相な批判にあるのではない。拙論を足がかりにして、和辻研究に何らかの新展開があれば望外の喜びなのである。
  • 随分思わせぶりな、大袈裟なことを書いてしまったかもしれないが、(どの研究者もそれは同じだろうが)全精力を注ぎ込んた論文(我が子)は可愛いのである。四本の論文が私の手を離れた後、誰かの知識の役に立って欲しいと心から願う。