(1/15)翻訳という修業(続編)

  • 私の努力が足りない。いろいろとアドバイスを受けるも、結局その一言に収斂される。私は今より過酷な旅に出なければならないようだ。もっとスケジュールを取り、もっと文法事項を検索し、もっと訳語のバリエーションを鍛えなければならない。そうしないと迷惑のかけっぱなしになる。でも心に襲いかかる果てしなき虚しさ。それにしても、どうして私はこの修業を引き受けたんだろう。当時の私に聞いてみたくなる今日この頃。
  • 昼間に出かけている間に、手から離れていた仕事がいくつか動いていることをメールで知る。もう一本、論文の校正が届くようだ。これもまた急ぎ。どの業界も同じかもしれないが、急ぎの仕事ばかりになってしまうと「急ぎ具合」の順で仕事にとりかかる順序が決まって行く。当然、「急がない仕事」のことを考える時間が失われていく。かくして「急がない仕事」も徐々に締切が近づき、結局は「急ぎの仕事」に組み込まれていくことになる。こんな精神衛生に悪い仕事の仕方で、ストレスが溜まらないわけがないよなあ、まったく。この悪循環から抜け出す打開策を考えたいが、その前に明日の朝までに上げるべき仕事が先だ、というオチ。まるでコントのような生活。
  • 今朝、或る論文のリライト最終作業。正午までに終了し、編集担当の先生へ届ける。文書データをフロッピーに入れて渡すのだが、今やフロッピーを使用する機会は論文原稿の提出時だけになってしまった。