「家族論」を論じて

  • 結局徹夜で出勤。いけない、いけない。これでは風邪が再発するだけだ。ゴールデン・ウィークの課題はまず、休養である。
  • 往路の鉄道、バスでさんざん眠り、大学到着時は少し頭がスッキリする。「異文化言語演習」と「女性学」。「女性学」は家族論。今回はDVD無しだったので、さんざん喋ってきた。徹夜だったせいか、ちょっとテンションが上がり気味だったのが良かったのかもしれない。論理構成はまだまだ改善の余地があるが、受講生が90分間だけでも「家族のあり方について考える」機会を持てたのであれば、それだけで大きな意義があったと考えている。
  • 毎年「家族論」を講じるたびに思うのは、「人間は何と経験に引きずられる生き物か」ということだ。中には、自分が見聞きしたこともない家族のあり方を想像すらできない学生がいる。たとえばなぜ「私たちは事実婚でないと!」と思う人がいるのか、「結婚に縛られない人生を選びたい」と考える人の理由は何か。それを考えるだけでも、こういう講義は貴重な機会だ。これは女性学に限ったことではないが、「自分とは全然違う生き方を選んでいる〈選ばされている)他者を考える」という作業を学生に繰り返しさせていかないと、「人権教育」が題目に終わってしまう危険がある。「人権」という言葉を印籠のように用いなくても、日常の講義で取り上げる方法はいくらでもあるだろう。「他者の生き方を尊重する」ことは「自分の生き方が尊重される」ことであることを理解していない学生がまだまだ多い。
  • 帰宅後、すぐに食事。今日は朝から何も食べていなかった。食後、猛烈な睡魔に襲われ仮眠。しかし、日付が変わった頃に起きる。BSで「スーパーマン」の一作目を少し見る。とにかく懐かしい。故・クリストファー・リーブも若い。私はこの映画を劇場で見ている。今見ると、宇宙的空間の装飾が70年代らしい感じがする。ただ、同時期の円谷特撮よりもよほど洗練された印象がある。当時は「スターウォーズ」よりも「スーパーマン」のファンだった。「スターウォーズ」も劇場で見ている。とにかくSF大好きな子どもだった。「2001年宇宙の旅」という映画の存在を知るのはもっと後のことなので、私がリアルタイムで見た最初期の「宇宙映画」はこういう世界である。
  • そういえば先日、「日本映画専門チャンネル」で放送された『電送人間』(1960年)を録画しておいたのだが、未だ見ていない。先日DVDで借りて見た『ガス人間第一号』ほどの激しい感動があるかどうか、GWの楽しみである。