「てっちり会」

  • 午後、第3回地理哲学研究会(通称・てっちり会)に出席。中澤先生による研究報告「古代ギリシア哲学の〈場所〉概念」。今回は地理哲学研究会という場であったが、哲学プロパーには目からウロコの事ばかりだった。原子論の「ケノン」、アリストテレスの「トポス」、そしてもっとも統一的解釈が難しいプラトンの「コーラー」。「コーラー」についての様々な解釈は、それだけで一本の論文を教えて頂いた感あり。様々な解釈がある中で、先生は自律的な「媒体」説を取っておられる。「イデア」も同じだが、プラトンが提出した概念をアリストテレスによる「図式化」というフィルターで理解したつもりになるのは、プラトンの意図から離れていく危険が大きいことを、改めて痛感した。後世の「図式化」が、哲学者本人の語った「哲学的」魅力を著しく減衰させる、という意味ではヘーゲル弁証法も全く同じだ。学部生時代、哲学史の講義でヘーゲルを図式であっさり「説明」してしまった哲学教授に、激しく幻滅したことを懐かしく思い出す。そもそもヘーゲルを(そして他の哲学者も)、数分で理論の核心を説明しようすること自体に無理があるのだと思う。
  • 研究会後の懇親会は、風邪が治りきっていないために辞退。夕食後、明日の準備。毎週のことだが、「女性学」のレジュメ作りが難航。今回のテーマは家族論。あっさり日付が変わる。いったい何時までかかるやら。この講義はもう4年目なので、レジュメの蓄積はたっぷりあるのだが、読み直すたびに色々と書き換えたくなるのだ。近代の家族形態を軸に、その歴史性(19世紀当時の「先進」性と、現代の「後進」性)と近代国家における「機能」、その家族になろうとすること、そうあれと願う周囲と。「理想」を妄想する本質的自由と、現実の家族に対する心理的許容と経済的不利益の排除など。
  • 今回のレジュメに限らず、議論を「純化する」作業は、日々のレジュメ作りでは限界があると実感している。ゴールデン・ウィークで少し仕事を先取りしてやっておく予定だが、この「女性学」も予定に入れておかねばならない。