都市から逃げるな、たとえ「反エコ」であったとしても

  • シンポジウムや研究会に出席すると、時々「えっ?そんな考え方がそちらの世界では常識になっているの!?」と驚くことがある。最近、私が驚いた代表的なものの一つが「都市はエコロジーに反している」という常識である。
  • コンクリートを生成する際に多量の二酸化炭素を排出するという。その建築物は昼間でも日が差さないような設計であり、日の明るいうちから蛍光灯と冷暖房を電気で動かすことを前提としている。アスファルト道路はヒートアイランド現象を作り出し、洪水の原因になっている。つまり、都市という存在自体がエコロジーに反している。なのに「持続可能な都市づくり」などという言葉が政治の世界で普通に使用されているのは奇妙なことだというのだ。
  • 都市構造そのものを分析すれば、たしかに農村部よりも圧倒的なエネルギー消費量の差があるだろうし、その消費のあり方は無駄が多いというのも頷ける。都市が自然環境に対する負荷が高いのはその通りだろう。ただ、忘れてはいけないのはそういう討論を私たちは冷暖房の効いたコンクリート建築の会議室で行い、遠方の方はそのシンポに参加するために高速バスや飛行機で移動して参加している。終われば夜の宴会場で懇親会があり、電車やタクシーで帰路につく。夜遅くに帰ってきて風呂を沸かし、入浴し終えたらテレビの一つくらいはつけるだろう。パソコンの電源を入れてメールのチェック。どんな瞬間も都市生活はエネルギー無しに維持できない。
  • 「都市はエコじゃない」と言ってしまうのは簡単だが、ではどこに解決の方向性を見いだそうとするのだろうか。人によって異論もあるだろうが、私は人間が都市そのものから逃げることは不可能ではないかと考えている。なぜなら都市は人間が求めて作り上げた人工的空間であり、快適さや利便性を求めた結果生まれた空間だからだ。人が大挙して「都市」から逃げ出したとしても、その逃れた場所がまた新たな「都市」になるだけのことではないか。またそれだけの自然が失われるだけである。郊外に住宅地を開発したところで都市空間が広がるだけのことで、都市問題は何も解決していない。電気・ガス・上下水道の整備された空間で生まれ育った人間が、その設備のない空間に生きることはどの程度可能なのだろう。それはすでに「反文明」的な思考ではないだろうか。
  • 都市空間の徹底したエコロジーはいかにして可能か。海外の事例も国内の努力もすべて含めて、都市住民は都市内で環境問題の解決に寄与しなければ。都会に住み「都市はエコじゃないよね」と涼しい場所でつぶやく時間さえももったいない。