(10/10)浜の真砂は尽きるとも、世にストレスの種は尽きまじ

  • 今日は「論理的に考える」。議論分析法をレッスン。そろそろクラス内で明確な習熟度の差が生まれてくる。ここからが勝負。
  • 帰り、大学の図書館で一悶着。原因は私の勘違いと、カウンター職員の説明不足。
  • ある本が一冊延滞なので新たに借りられない、と職員。そんなことはない、昨日2冊返しただろう、それで期限内は全部じゃないか、と私。(書庫まで調べてきて)いや、この1冊は確かに帰ってきていないと職員。じゃあ私が2冊返したという証明はどうすればできるんだ、今後も本を返したのに戻ってきていないと図書館にイチャモンを付けられ、その度に貸出停止だ、賠償だと言われては怖くて利用していられない、と詰め寄る私。職員はあくまで処理の正当性を主張し、私が「うっかり」返していないだけだと言い続けた。返したつもりが返していない、などということはよくある、などと私より10歳以上は若い職員に「うっかり者」扱いもされた(名札の名前は覚えたぞ)。2階のカウンターでは埒があかなかった。あくまで彼女たちは「私が2冊返したつもりがうっかり1冊しか返していなかった」、いわば私が2冊返したかのような幻覚を見ていた、という立場を変えなかった。
  • 話が通じないので仕方なく、返却した1階カウンターでもう一度確認。結果は拍子抜けするほどだった。真相は「昨日私が返した本は確かに2冊で、それは図書館に記録されていたが(その大事なところを2階のカウンター職員たちは、可能性を含めて最後まで言わなかった)、その本とは別の本がまだ返却されていない」ということだった。そう言われてしまっては仕方がない、私の汚い部屋を探してみないと。
  • このように、ささいな言葉の足りなさとか勘違いとか、そういうことでストレスは増幅される。何故この話を長々と書いたかというと、こういうことは「クレーム処理」の教材になりそうな気がしたからだ。利用者(私)のミスの可能性を指摘する場合、「本が1冊返っていない」という処理状態にあるのは事実だとしても、それだけを繰り返し告知しても何ら問題解決にはつながらない。ましてや利用者をたしなめるような発言は禁句だろう。その意味で彼女たちはまったくクレーム処理に慣れておらず、役所の窓口よりも「公務員」だった。
  • ついでに書くと、この大学図書館のカウンター職員は毎年のようにメンバーの大半が入れ変わってしまう。もし大ベテランの職員が一人いたなら、まず私が昨日2冊返したかどうかを確認した上、「その返された2冊の本と、まだ返していない本は違う本かもしれませんね」と調べてくれただろうと思うと、やりきれない。