「悟性の人」

  • 今日はちょっとだけ、アカデミックなふりをしてみる。ヘーゲルのいわゆる『小論理学』、その80節補遺からの抜粋である。

Wie im Theoretischen, so ist auch im Praktischen der Verstand nicht zu entbehren. Zum Handeln gehört wesentlich Charakter, und ein Mensch von Charakter ist ein verständiger Mensch, der als solcher bestimmte Zwecke vor Augen hat und diese mit Festigkeit verfolgt. Wer etwas Großes will, der muß sich, wie Goethe sagt, zu beschränken wissen. Wer dagegen alles will, der will in der Tat nichts und bringt es zu nichts.

  • 松村一人訳では以下のような内容である。「理論の領域におけると同じように、実践の領域においても悟性は欠くことのできないものである。行為するには、あくまで性格が必要であるが、性格を持つ人とは、一定の目的を念頭に持って、それをあくまで追求する悟性的な人である。何か偉大なことをしようとする者は、ゲーテが言っているように、自己を限定することを知らなければならない。これに反して、何でもしたがる者は、実は何も欲しないのであり、また何も成しとげられない。」(岩波文庫版上巻242頁)
  • ヘーゲルが「悟性的な人」と言うと、さぞ一面的な考えに偏った、次元の低い人を言っているように誤解する人がいるかもしれないが、実際は逆であって、ヘーゲルは良い意味で用いている。別の場所では「教養ある人」とも述べている。ヘーゲルの思弁的論理学と言うと、形式論理学を軽視しているかのように思っている人がいるかもしれないが、実際は逆である。形式論理学が重要だからこそ、その限界を認識し、その限界を突破する論理学の必要性を説くのだと、私は考えている。
  • それにしても、「何でもしたがる者」の悪循環に嵌り込んでいる一人である私には、これは耳の痛い箴言である。