東京地裁の判決は当然

  • 都立七尾養護学校(当時)の性教育授業を一部都議会議員と都教委が暴力的に介入し、その行為を一部新聞社が一部都議および都教委側に立って大々的に報じた問題に対して、元教諭らが損害賠償を求めていた裁判で、12日に東京地裁民事訴訟の判決が出た。判決内容は、直接妨害行為を行った都議会議員と都に対して一部(210万円)慰謝料の賠償を命じる判決だった。本判決で問われた教諭らへの非難が、旧教育基本法で禁じている「不当な支配」にあたると認められたことは大きな意義がある。
  • この事件は拙論(「ジェンダー・フリー」バッシングに抗して、鰺坂真編著『ジェンダー史的唯物論』、学習の友社、2005年12月)でも触れた。以下に一部を抜粋する。読み返すと、当時の私は特に都の教育委員会に対して怒りを感じていたようだ。もし仮に一部に乱暴な政治家がなぜか当選し、「得票数にあぐらをかいて」のさばっていたとしても、それらから教育現場を守るのは教育委員会の仕事だろう。それが議員を制止もせず、一緒になって処分に走ることは何事か、という思いだった。大阪府下に住む私にとって、現在その思いはますます強い。

一部議員や教育委員会が、養護学校での性教育という事情も考慮に入れず、彼らのポルノ的な視点で一面的に「わいせつ」と決めつけ、教材を没収し、挙げ句の果てに教員を処分するという行為は、教育基本法が厳しく戒めている「不当な支配の介入」そのものではないか。もし仮に問題と思われる教育活動があるというならば、生徒の保護者や教員が対等な立場で、あるべき教育指導を探るための話し合いを進めることが必要なのであって、権力を振りかざした乱暴な「処分」など、教育に関わる者が一番やってはいけない行動ではないだろうか。

  • どんな理由を付けたとしても、教育現場から「論理」を奪い去るならば、その先には教育の荒廃しかない。体罰否定も「いじめ」防止も、教育現場に「論理」を取り戻すという大きな共通点がある。
  • 余談だが、この問題も含めて私は現在、倫理学的な観点に立って、成人までに必要な知識と情報を逆算して構成する「性教育」や「保険教育」のあり方に関心がある。デートDVへの啓発、性感染症HIVを含めて)予防、成人病検診(特に乳がん検診)の重要性など。近年では薬物汚染も重大な問題であるから、具体的にどのように体を蝕んでいくのかを伝えておかなければならない。大学生と接していて、いかに大切なことを知らずに大学まで上がってくる者が多いことか、私は常々疑問を持っているからだ。