最近の政治の変動の中で

  • 色々と思うことが多い今日この頃だが、なかなかブログに反映させる時間が無く、気になっていたことをメモに書き留めておいた。それが結構な量になってきたので、ここで吐き出してみる。
  • その1。選挙期間中のマスコミによる「この国のかたち」(「かたち」は必ずひらがな)をどうするのかといった、一見何かの本質を示しているように見せて、実はよく分からない曖昧な言葉使いにうんざりする。しかもこの言葉は大抵、「民主党を選んでもいいの?」と疑問を呈したい論者から出てくるのが常である。
  • 「かたち」って何を意味してるんだ?民主党が政権を取ったら、(たとえば)社会主義になるとでも言いたいのだろうか。デマもほどほどにして欲しい。そういえば、自民党は「民主党が政権を取ったら労働組合に日本が支配される」と大宣伝していた。わが家にも配布された例のネガキャン・パンフは大切に保管してある。自民党にとっての「歴史上の汚点」と言ってよいだろう。
  • その2。「少数政党のマニフェストを見ても仕方がない、どうせ政権を取れないのだから」という「コメンテーター」の意見を堂々と電波に流す放送局にうんざりする。そもそも政権党になろうとする党と少数政党のマニフェストは、それが持つ意味が異なることくらい、選挙の常識じゃないのかと思っていたが、それを知らない人もいるのだ。
  • 大政党は具体的な政策内容や実現スケジュールに責任を問われる。だから公約内容も曖昧な部分をわざと作っておいたりするが、少数政党はその「心配」が無い分、自分たちがやりたいと望む事を思い切って公約に盛り込めるし、選挙後も理想に近い内容で大政党を追い詰められる。少数政党は大政党の政策への不満の受け皿となって躍進することで、大政党への政治的圧力にもなる。「少数政党は数が少ないからダメ」というのは、自分が如何に政治に対して視野が狭いのかを告白しているにすぎない。
  • その3。「地方分権」を金科玉条のように叫ぶ一部の知事にうんざりする。利権を官僚から一部の「プチ・ヒトラー」たちに移行させて何か良いことでもあるんだろうか。もちろん今のままでよいとは思っていないが、問題はその税金をどう住民のために使うかであって、地方に権限が移れば何でも良いかのような議論にはまるで理性がない。(だいたい、橋の下にいる知事など、何に使うと言い出すか分かったもんじゃないし。WTCを電飾でキラキラにするかもよ)
  • その4。大型公共事業に依存する政治の転換をめざす民主党に対して、「それでは、日本で大量に増えてしまった建設業者をどうするのか」という意見を投げかけて何か批判したような気になっている議論にうんざりする。建設業者を生き延びさせるために国民生活を犠牲にしても仕方ないかのような議論こそ、今回の選挙で否定された路線ではないのか。こういう官僚的イデオロギーでは、日本の政治の未来など見えるはずもない。必要性の乏しい公共事業に巨額の資金を投じる愚行が、今回の政権交代で一時的にでもストップするとしたら、それだけでも政権が代わった意義があったというものだろう。
  • その5。某党内で、改革志向の強い若手が大量にが落選し、派閥の領袖やボス、ドンと言われるような旧態依然の「大物」ばかりが生き残った、という現実は偶然でも何でもなく、きわめて分かりやすい「必然性」があったのではないかと思う。この党へ期待する人たちは、結局はそういうこと(大きすぎる橋、立派すぎる道路、標準軌の新幹線、ジェット機の発着できる空港、そしてダム。そして、それらを建設するための大型公共事業)に期待してるのではないか?そこに、「若造」は落ちても今度頑張ればいいが「ドン」を落とすわけにはいかない、という論理が機能する。「派閥」と「族議員」の絶滅まで、あと何年かかるのだろうか。