「論理的」第8週&赤塚不二夫の番組の話

  • そろそろ佳境。論理学の初歩の初歩と実践的論理的解読法、表現法をミックスしたこの講義も、後半戦である。これまでの復習をかねつつ、実際の文章を分析できるか、といった課題にも足を踏み入れている。新科目ではあったが、十二分の手応えを感じている。18歳、19歳のうちにこういう知識があるのと無いのとでは、卒業時に大きな差が出てくることは間違いない。
  • 昨夜は結局、完徹だったので、夕方に食事を取った後の記憶がない。おそらく居間で爆睡していたのだろう。相方に布団のある場所まで誘導されたところまでは覚えている。目が覚めれば深夜。再び仕事を再開。私たちの生活には、大学が開講している期間、ほとんど休みらしい休みは無い。ただ、非常勤は専任教員と違い、他科目で試験監督にかり出されることがないため、試験期間中になると突然休みが取れる。だから、今から「7月に何を研究するか」「7月に何の原稿を書くか」などのプランを考えている。
  • 夜中に、今夜録画しておいた「赤塚不二夫なのだ!」を見る。さすがというか、ゆかりのある漫画家、スタッフ関係者に続々コメントを取っている。主役の赤塚氏は、もう何年も意識不明のままであるから、こういう構成になるのは当然であろう。私が赤塚不二夫を「半生」ではなく、擬似的に「生涯」として振り返る状況になっていることを私が初めて知ったのは、今日の番組にもコメント出演していた当時の編集者・武居俊樹氏の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文藝春秋、2005年)である(現在は文春文庫で文庫化されている)。出版年月から言うとこれよりも前なのだが、その後になって長谷邦夫氏の『漫画に愛を叫んだ男たち』(2004年、清流出版)を読んだ。私は赤塚作品をリアルタイムで知らない世代である。だからこそ、この世代の「生き証人」の話に私は新鮮な驚きとともに耳を傾けている。
  • さて、番組の話に戻るが、赤塚よりも若い世代に何組か出演をさせている。ナビゲーター?のバカボンパパ役である古田新太、下落合で喜国雅彦しりあがり寿みうらじゅんによるトーク(三氏が同学年だということを、今回初めて知った)、そして後半、アニメで登場した松尾スズキパフォーマーとして、古田氏自身は「おこがましさ」を感じていたのかもしれない。番組最後でのエクスキューズはそういう意図を感じた。漫画家三氏のトークは、正直もっと聞きたかった。あれだけで30分番組にしてBS-2でやってくれないかと思うほど。松尾スズキによるアニメは、…かなり制作費も掛けたのだろうが、私個人はカットしてくれても良かった。あの内容を違う形で番組内で紹介することは可能な気がしたからだ。今日は「若い世代」として昭和30年代生まれの赤塚ファンが出演していたが、私の世代(昭和40年代)にも多くの赤塚ファンがいる。「全盛期の赤塚不二夫を知らない赤塚ファンの目」というのも取り込んでこういう番組を企画してくれたら、と思った。