(6/2)オールOK、そして哲学徒の叫び

  • 今日は高槻で講義。土日に相当周到な準備を踏んだので、今日の3・4限は少々寝ぼけていてもスムーズに進行させる自信があった。
  • 3限の「日本の女性科学者の自伝的手記」に関しては、ようやく学説の内容説明に入った。ただ、まだこの議論の面白さの数%も伝えられていない。これからどんどん面白くなる。
  • 4限の「女性学」は、今秋から2週にわたって「性暴力」。テーマは重くなってしまうが、あくまで「解決を求めていくための共同考察」を追求したい。「男であることの原罪」といった方向性の話は生産的ではない。今週は「性道徳」問題と「デートDVの現在」、来週は「キャンパス・セクハラ」を取り上げる予定。本当なら、夫婦間あるいは夫婦関係破綻後の女性と子どもと男性との間で発生するDVや離婚トラブル、「無戸籍児」問題などを一括して扱いたいのだが、学生相手の講義ではなかなか扱う時間が取れないのは残念。ともかく、両方とも順調に進んだ。
  • 大学から駅へ向かうバスで、大学でお世話になっているK先生とばったり。先生はご多忙のご様子。一眠りされたかったかもしれないのに、私が色々と話しかけてしまった。でも、大変収穫の多い時間を過ごさせていただいた。
  • 帰宅後、郵便受けにT先生からハガキが届いていた。以前お送りした拙論に対するお返事である。5月はじめのことであったが、10名以上の先生方(中にはほとんど面識のない先生もおられる)に私がヘーゲル研究の論文をお送りしたことへのお返事であった。文面の過分な褒め言葉に、私は郵便受けの前で恐縮してしまった。有り難く頂戴する。
  • 昨年度、論文を四本も書いてみて、やはり「無反応」というのは一番辛い。それは例えば、アーティストが楽曲を発表したり、芸術家が作品を発表したりしたときも同じじゃないかと思う。ベテランの先生方から見れば、私のような若造の論文は未熟でもあろうし、批判を受けるのは当然だと思う。ただ、私はこの年齢にもなって自分の経済生活にほとんど価値を生み出していないヘーゲル研究をやり続け、論文を書き続けている。その私の研究を知って欲しい、という欲求はある。
  • 大学院の博士課程を修了して「課程博士」の称号を持っているなら、もっと良い暮らしができるだろうと思われそうだが、実際は非常勤講師をしながら生活費を何とか確保し、哲学や倫理学を研究する「プア」な生活である。全国には、このような暮らしで必死に生活を支えながら、哲学や倫理学の研究を続けている大学院修了者が少なからずいるだろう。「費用対効果」などという物差しで測れば、私たちのような生活は、投資したお金に比べて何と「見返り」の少ない人生の選択だろう。でも、人生が終わるまで、この人生が有意義であり、哲学や倫理学を研究して人生を過ごすことに高い価値があることを主張し続けたい。そんなことを想った夜だった。