日本に「本当の映画批評」は殆ど無い

  • ディベート」や「ディスカッション」、「ディスコース」を指導していて気がつくのは、日本では一つのテーマを素材に180度反対の意見を戦わせて、参加者の認識を深める、という練習をする機会がきわめて乏しいということだ。9割の人が絶賛するテーマに対しても、絶賛しがたいと思う1割の人が述べる意見に耳を傾けるべき「真実」があるかもしれない。もちろん、その「真実」を知ったからといって、絶賛の根拠がひっくり返されるとは限らないし、むしろ「だからこそすばらしい」と、根拠を補強するかもしれない。いずれにせよ、意見を戦わせる前と後では、討論に参加した人々の認識が幅広く、深くなっているだろう。この経験が、他のテーマに接する際にも、多角的で分析的な思考をする素地を作っていく。
  • さて、最近の日本映画の話題は、例の人面魚映画である。メディアの前評判を見る限り、こんなすばらしい映画は滅多にないらしい。NHKから民放(特に日テレ)まで、天才作家M氏を持ち上げている。しかし、指摘しておくべき「問題点」も無いわけは無かろう。だが、そういう「批評」はまったくメディアの表に出ない。映画評論家の中にはズバッと言いたい人もいるのだろうが、映画会社などとの関係を気にして筆を抑えてしまうらしい。だから、映画鑑賞者は観る前も観た後も、「映画鑑賞の専門家」による客観的な意見を耳にする機会を奪われ、知識や印象を深化させることができない。
  • 断っておきたいが私は何も、批判すれば批評になるとは全く思っていない。たとえば井筒監督がテレビで特定の映画に吠えているのは「批評」ではない。おすぎ氏が自分の好みの映画ではないことをねちねち言うのも「批評」では無かろう。「月イチゴロー」では時々、(おそらく本人は無意識に)「批評」になっている時があるが、スタジオの香取氏はいつもヒヤヒヤしている感じなので、地上波メディアでは「すれすれ」扱いなのだろう。いずれにせよ、テレビや新聞・雑誌等(「テレビブロス」や「映画秘宝」等を除く)では、「客観意見」に出会うことは殆ど期待できないのが、日本の現状である。
  • 先の番組中、町山氏は「自分がこの映画について語ることのリスク」に何度も触れていた。氏のような批評が「珍しい」ようでは、日本の映画環境の未来は暗いと言わざるを得ない。