「想像力」って言葉は想像力をかき立てるか

  • 最近思うこと、というかずっと前から思ってきたことなのだが、「想像力」という言葉は、あまり想像力をかき立てないのではないか、と思っている。
  • たとえば子どもの「いじめ」問題などで、「いじめられる側だったらどう思うか、という想像力の欠如」という言い方で「想像力」という言葉を使ったりするし、政治家を批判する際にも「その失言を有権者が聞いたらどう感じるか、という想像力が足りない」と使ったりする。
  • しかし、「体力」や「精神力」と同様に「力(ちから)」という言葉は、達成された状態への道筋を示してくれるわけではなく、結果として有るか無いかを示しているだけなので、「おまえは精神力が弱い!」と注意したところで、本人は何をやって良いのやら途方に暮れることが少なくないだろう。ましてや「想像力」の場合は、「想像力が足りない」と言われても本人は「想像する」能力が不足しているから、「想像力が足りないこと」や「想像力が充実しているとはどういう状態であるか」も想像できないだろう。
  • 結局、想像力の足りない相手に何を言えば、想像力の欠如を想像してくれるのだろうか。私は教育現場で「○○を××するには、想像力が必要だよ」と言いたくなるのをぐっとこらえて、できる限りそれと違う具体的な言葉を探すようにしている。しかしかくいう私も想像力が足りないせいか、想像力が足りない状態がなかなか想像できなくて苦心するのだけれど。