(9/27)キャンパス・セクシャル・ハラスメントについて考える

  • 先日も書いたが、午後から関大で開かれたCSH(キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク)第14回全国集会を聞きに出かけた。シンポジウムは、CSHとNAAH(アカデミック・ハラスメントをなくすネットワーク)との合同シンポジウムで、テーマは「アカハラパワハラ・セクハラを含むハラスメント・ガイドラインへの提言」であった。 私はこのような共通のガイドライン作りに向けた討議が重ねられていることを、恥ずかしながら初めて知った(まさに無知の知なり)。
  • 今日の各提題者の報告は、ガイドラインの詳しい中身というよりは、その討議を進めるために必要な報告や問題提起が中心だった。学生に生じている不利益を現実に解消する方向で対策が進めば、「被害者=善、加害者=悪」かどうかという判定を大学内で一々下さねばならない必要性も減少するだろうと私も思う。加害者処分問題も、結局は被害者の不利益をいかに解消するかという見地で妥当性を探らないと学内のコンセンサスがとれないだろうと思った。学内(特に教授会)で加害者を裁く「裁判所」の役割を持たせるのは、今もこれからも困難だろう。法的判断は(本当は放置できないのだが、とりあえずは)裁判所で扱う問題としておいて、学内の対策を、特に問題を未然に防ぐ観点で対策を具体化させていくことが、「ガイドライン」の実効性にも影響を与えるだろう。私が性暴力問題などでいつも学生に語ることだが、被害者を生まない取り組みは、加害者を生まない取り組みでもある。またその逆もある。加害者はある日突然、天から舞い降りるわけではない。学内の狭い世界で被害者も加害者も大学関係者だった場合、取り扱いの難しさは容易に想像できる。
  • 壇上の報告者が全員、アプローチは違えど観念的解釈や講釈に陥っておらず、「今」「現に生じている事態」への対応に向き合っていることに大変好感を持った。こういうダイナミズムこそ、私が希求している方向性である。
  • 討論中の報告で聞いたのだが、ある学会ではハラスメントで学内処分が下された教員は、被害院生などに顔を合わせる可能性などに配慮して、学会でのシンポの司会やコーディネーターなど、院生などに影響を与える役職に一定期間(その学会では一年)付けないようにする、という申し合わせがされたそうだ。一年という期間は不十分ではあるが、極めて先駆的な対応だと思われる。もしハラスメントで免職になった教員が、その専門学会で今まで通り、あたりまえのように学会内を仕切り、学生や院生に接して影響力を行使していたとしたら、いったい学会は該当教員が本務校で受けた処分をどう考えているのか、という事態になってもおかしくない。だが、学会で今回聞いたような対応をとってルール化している、という話はほとんど聞かない。
  • たった3時間ほどのことであったが、学ぶことが大変多く、刺激になった。