(5/27)一週間経ってしまった

  • 前回の日記から一週間過ぎてしまった。この間どうだったかを簡単に。
  • まず、日曜に近所の大学のキャンパスと図書館の閉鎖が解かれた。ようやく研究発表の準備を始める。実は19日(火曜)に必要な文献を借りてきて準備を始める予定だったのに、「新型」のせいで大半の予定がぶっ飛んでしまった。なのに研究会の日程は変更がないから、私は今、不眠と焦り、神経性の下痢とたたかいつつ、「何か言わないと」とレジュメを書いている。だが、当初の予定は大幅に変更、内容は半分以下も作れそうにない状況である。泣くに泣けない。
  • 月曜は女性学。今週はフランスの少子化対策(子育て政策)を長時間紹介。フランスへの羨望(ただし同じ事を日本でするのは難しそう、という諦めも込みで)、日本への失望と少子化打開の可能性の低さなど、このテーマで講義をやると色々な感想が漏れてくる。
  • 火曜は倫理学。「完璧だが不可能な解決策」から考えるとか、問題解決策の一つとして問題を発生させない方法を考える、など。実際に職場に出たときに「使える」倫理を目指して今週もやってみた。ただ、毎回思うが、この授業は準備がいっぱい必要である。
  • で、火曜の日の夜から気持ちは完全に研究発表モード。と行きたかったのだが、前の日の夜に偶然ネットで調べたら、私の所持している或るクレジットカード会社が、私のカード限度額を予告無しに突然半分以下に下げた事が判明。そのカードに私は年間3150円も払って、「海外旅行時のメインカードにしよう」と毎月せっせと四年間も利用して実績を作ってきた(はずの)カードだった。その築き上げたはずの利用実績は一夜のうちに消去され、会社の一方的な「見直し」で、あっという間に契約時以下に引き下げられてしまった。もちろん、下げた「理由」はまったく利用者には教えてくれない。一度も延滞していない利用者に対して、この仕打ち。私は直ちにすべてのカード引き落としをそのカードから別のカードに変えた。近々解約の方向で準備を進めている。カード会社にとって貧乏人に対する「信用」なんてこの程度のものなのか。彼らに「顧客に対する倫理」など存在するのだろうか。この恨みは一生忘れんぞ、背損雨
  • そして今日(水曜)。発表の準備はあまり進まず。さきほど或るホームページの表紙を見たら、ずいぶんと大々的に宣伝しているじゃないか。困りますよ、たくさん来られたら。多分、他に抱えていらっしゃるお仕事とか、友達とのご用事とかの方が大事ですから、そちらをお選び下さい(笑)。
  • 追記。中島梓が死去した事を知った。私は彼女の文学作品を読んだ事がないので、持っている本は『コミュニケーション不全症候群』だけだ。当時この本を読み終えて、読後感が大変悪かった事を覚えている。様々に若者に見られる現象を取り上げ、描き出すセンスは作家ならではのものがあるだろう。だが、「だから何?」と苛立つ事も多かった。当時の私の友人で文学研究者の女性は、この本を激賞していたが、その時も「現象を描写する事で本質を抽象したかのように錯覚するのは危険だ」と思っていた。近年、「カクサシャカーイ」というネーミングを付ける事で、何かが分かったかのような気分になっている識者たちのコメントに気持ち悪さを感じる事があったが、その感覚に似ている。