1957年に古在由重が触れた植木枝盛のこと

  • 「古本まつり」では、古在由重著作集がバラになって、1冊500円で売りに出ていた。この値段自体は相場では決して安くないのだが、普段あまり出回っていない第三巻『批評の精神』が出ていたので買っておいた。この第三巻には、古在が植木枝盛について書いた「植木枝盛のこと」(初出『図書』1957年12月)が収録されている。古在の母が結婚前に植木と交流があり、植木と一緒に写っている写真を母の死後に母の遺品から古在が発見した、というエピソードが紹介されている。

昭和八年に母が死んだあとで、わたしは母の手箱のなかに色あせた一枚の写真をみいだした。それには植木枝盛、わたしの母、ほかにふたりの女性が一緒に写されていた(これは家永氏の今度の新著*1の口絵におさめられた)。写真のうらをみると、明治二二年一月八日という日づけがかかれており、またこの四人の名もそれぞれにしるされている。植木が三三歳、母が二一歳のときだった。ほかのふたりの女性もまだわかい姿である。母の生前には一度もその口から植木の名すらきいたことがなかったけれども、この一枚の写真によってはじめてわたしは植木と母とのあいだに交際のあったことを知った。そしてそれまではただ自由民権史上の一人物としてしか心にうかんでこなかったこの短命な先駆者に、それ以来あるしたしみの感じをおぼえるようになった。(127-128ページ)

  • この時代に思想家として植木がどういう扱いを受けていたのか。この古在の文章によれば、植木枝盛が「この自由民権を代表する人々のなかでももっともかがやかしい思想家であり、またもっとも急進的な思想家」であり、「大胆に近代的な意味での基本的人権を要求し、まぎれもない人民の抵抗権および革命権を主張した」と紹介している。あまり紹介されていない状況にあるけれども、この家永氏の新書によってひろく紹介されることを古在氏が期待している内容になっている。この後、当ブログで以前紹介した1959年の岩井氏による厳しい批判が出されるということを重ね合わせると、当時の植木枝盛評が唯物論系の研究者内でも複雑であったことが伺える。

*1:〔註:家永三郎著『革命思想の先駆者 −植木枝盛の人と思想−』(岩波新書、初版1955年)〕