(7/8)宗教者が臓器移植法改正反対を声明

  • 朝日の記事によれば、今回の記者会見に「浄土宗、浄土真宗本願寺派真宗大谷派天台宗日蓮宗、立正佼正会、大本、日本キリスト教協議会の代表者らが出席」したそうだ。この問題で各派の一致した見解を提出したことに意義がありそうだ。各記事を読む限り、2点(一律に「脳死を人の死」としている点、本人の提供意思がなくても摘出できる点)で反対しているようである。
  • 現行法支持としているが、「小児の脳死については、厳格な判定基準の導入や、虐待された子を対象としないためのシステムづくりを求め」、「第2次脳死臨調を設置して議論を深めるよう求め」(朝日の記事から)ている点で、衆院C案→参院「子ども脳死臨調設置案」ラインに近い線と言えるだろう。
  • 昨日の報道では「A案修正案」も参院に提出された(記事は読売)ようなので、これで「子ども脳死臨調設置法案」とあわせて3案が出されたことになる。ちなみにA案とA案修正案の主な違いは「脳死は人の死」と一律に決めるかどうかの一点であり(先の報道による)、例の悪名高い?「親族への臓器優先提供」事項がどうなったかは分からなかった。
  • これに先立ち、すでに移植関連3学会6研究会と患者団体が、(修正案でなく)A案の採択を求める声明を発表(記事は読売から)しており、彼らはA案修正案のように「脳死は人の死」という規定を削除する動きを、「家族に最愛の人の死を決定するという過酷な決断をさせるもの。臓器提供する家族の心の負担になる」と批判しているそうだ。提供する家族の「心の負担」の心配を、臓器を提供してもらいたい側が反対の理由にしている。
  • 私や私の家族や身近な人は、いま脳死状態でないし、逆に脳死による臓器提供を待つ患者でもない。その意味では今は第三者かもしれないが、いずれ死を迎えなければならない一人の人間という意味では、「脳死は人の死か」という問題は当事者になりうる立場にある。1994年の中山案提出から、国会でもずっと意見が対立し続けている「脳死は人の死か」という問題に、この衆院解散前のドタバタで決めてしまうのは、将来に大きな禍根を残すように思えてならない。
  • 国会はまた、1997年6月17日のようなことを繰り返すのだろうか。